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天の王朝

天の王朝

カストロが愛した女スパイ4

▼強制送還2
ヒメネスを相手にしたロレンツの婚外子扶養請求訴訟は、新聞各紙の一面を大きく飾った。ほどなく、ロバート・ケネディ司法長官の私的な顧問が二人、ロレンツの家を訪ねてきた。婚外子扶養請求訴訟を全面的に取り下げるよう圧力をかけに来たのだ。

ロレンツは断った。
すると二人のうちの一人が言った。「いいか、ロレンツ。アメリカ政府は信託基金の分など埋め合わせてくれるさ。しかも無税で」

ロレンツがそれでも「取引はしない」と言い張ると、二人の男は「お前はデブの独裁者の隣の牢屋にぶち込まれるぞ」と捨て台詞を吐いて帰っていった。

その後に、その事件は起こった。ロレンツがベビーカーに娘のモニカを入れて歩いていると、赤い車がまっすぐロレンツに向かってきた。とっさにベビーカーを押しやり、跳ねてよけようとしたが、ロレンツは車にぶつかってしまった。ロレンツは地面に転がりながら、車のナンバープレートを確認した。しかし打撲がひどく、お腹にいた五ヶ月の息子を流産してしまったという(編注:自伝では誰の子とは書いていないが、ヒメネスの子とみられる)。

 「危害を加えようとしていた人たちとはだれですか?」
 「将軍と私の弁護士である、マイアミのデービッド・ウォルターズです。彼は、私の娘、モニカ・メルセデス・ペレス・ヒメネスのための信託基金の管財人でした」

 「それがオーランド・ボッシュの家の会合にあなたが出席した理由だったのですか?」
 「はい。私は彼から逃げていました」

ロレンツが確認した車のナンバーから、ウォルターズの周辺が浮上した。しかし、ひき逃げ事件の捜査は遅々として進まない。そうこうしているうちに、1963年8月13日、司法当局はヒメネスの国外退去に同意。同16日、ヒメネスはベネズエラに強制送還された。その日、空港に駆けつけたロレンツが見たものは、独裁者の面影もない、やせ衰えたヒメネスが手錠をかけられて飛行機のタラップを上っていく光景であった。

強制退去から一週間が経って、ロレンツに対する援助は打ち切られ、信託基金も、家も、車もすべて失った。ロレンツが拠り所にできたかもしれない書類も、ウォルターズの事務所の「火事」で燃えてしまった。誰かが信託基金をはじめとするヒメネスの米国内における財産を懐に入れようとしているとしか、ロレンツには思えなかった。ロレンツは破産し、ホームレスとなった。

ロレンツは、父親のいない娘モニカとともに身を隠す、あるいは身を寄せるところが必要だった。生き残るために仕方なく、かつての暗殺集団の仲間に連絡を取ったのだ。

 「ボッシュの家で開かれた会合の目的は何だったのですか?」
 「会合は・・・」と言ってロレンツは口をつぐんだ。ロレンツは当時を振り返った。ロレンツは会合に出席するためにボッシュの家に行ったわけではなかった。自分を守ってくれる助けが欲しかっただけだった。一瞬、間を置いてロレンツは続けた。「私が車にはねられたので、フランク(スタージス)に車で私を拾って欲しかったのです。彼は私を車に乗せて連れ出してくれました。私は彼に話をして、助けてもらいたかったのです」

▼秘密の会合1
 「会合には、ほかにはだれがいましたか?」
 「オーランド・ボッシュとその妻、子供たち、オズィー、それにキューバ人兄弟の一人か二人が外に。家の中で開かれていた会合には私はほとんど興味がなかったのです。というのも、デービッド(ウォルターズ)が私と私の赤ん坊を殺そうとするので、フランクの助けが必要だっただけですから」

 「オズィーというのは、確認ですが、リー・ハーヴィー・オズワルドのことですね?」
 「はい」

 「彼はオーランド・ボッシュの家での会合に出席していたのですか?」
 「はい」

 「それは六二年八月以降と、十一月下旬ですね」
 「はい」

 「会合の議題は何だったのですか?」
 「彼らはブラインドを降ろし、子供たちを部屋から閉め出しました。そして、これから出かける予定の旅行について話し合ったのです。彼らは地図を広げていました。私は兵器庫の襲撃だと思いました」

 「兵器庫の襲撃というのは、武器屋から武器を盗み出す襲撃のことですね?」
 「はい」

 「それで何と話し合ったのですか?」
 「テキサス州ダラスの市街地図が置いてありました」

 「実際にダラスだと分かる市街地図を見たのですか?」
 「私がそばを通ったとき、コーヒーテーブルに置かれていました。私は興味がなかったのです。ぼやっとしていましたから。でも地図は見ました」

 「地図にはダラスの名前が書かれていたのですか?」
 「はい」

 「あなたはダラスについての話し合いを聞きましたか?」
 「彼らはただ、丸を書いたり、地図を読んだりしていました」

 「だれが丸を書いていたのですか?」
 「フランク・フィオリーニ(スタージス)です」

 「ほかに丸を書いていた人はいますか?」
 「ペドロとオーランドです。彼らはソファに腰掛けていました」

 「これに対し、オズワルドは何をしていたのですか?」
 「彼は立って、聞いていました」

 「当時、彼は何か言いましたか?」
 「はい」

 「何と言ったのですか?」
 「特別なことは何も。相づちを打つように“分かった”とか“いいだろう”とか言っていました。特別なことは何も言っていません」

▼秘密の会合2
 「会合はどれだけ続いたのですか?」
 「一時間半ぐらいです」

 「会合の最後に、彼らは何と言ったのですか?」
 「“よし、それでいこう”と言って、フランク(スタージス)は地図をたたみ、ポケットに入れました」

 「究極的に計画が決まり“よし実行しよう”ということになったのですか?」
 「はい。“よし、それでいい。準備はできた”です」

 「次にいつ会うかといった取り決めは聞きましたか?」
 「それはいつもでした。彼らはもう一度会おうという趣旨で何か言うのが常でした」

トリプレットはここで一息付き「メンバーの方で何か質問はありませんか、議長?」とたずねた。

 代理出席しているフィシアンが聞いた。「一つだけ。あなたが今述べた会合の日にちが、よく分からなかったのですが」
 「正確な日にちは覚えていませんが、マルコス・ペレス・ヒメネス将軍が本国送還になった後、多分二週間後の六三年八月か、おそらく九月だったと思います。というのもその頃、私は途方に暮れていたからです。私はすべてを奪われ、反乱グループに戻ったのです。フランク(スタージス)が助けてくれると思ったのです。それにアレックス・ロークのことも探していました」

 フィシアンが続けた。「それでは、記憶にある限りでは、会合は六三年九月の何日かだったのですね?」
 「はい」

 「どこで、でしたか?」
 「マイアミにあるオーランド・ボッシュの家です」

 「ありがとう、議長」
 フィシアンの補足質問が終わった。

 次に委員のドッドが手を挙げた。ドッドはかなりロレンツを疑っていた。ロレンツが経験したようなことが本当にあり得るのか信じられないでいた。何度も命を狙われ、数々の修羅場をくぐり抜けてきた女スパイなどいるはずがないとさえ思っていたようだ。ドッドはまずヒメネス将軍とロレンツの関係からただすことにした。

 「六一年から六三年までの間に、あなたはヒメネス将軍との関係を発展させるか、新しい関係になったというわけですね?」
「はい」

 「どうやって、あなたの顧問弁護士、確かウォルターズ氏でしたか、彼を雇うようになったのですか?」
 「彼は将軍の顧問弁護士でした。将軍は私の娘のために三十万ドル(注:自伝では7万5000ドル)の信託基金をつくってくれたのです。私は娘が生まれるや、デービッド・ウォルターズの事務所に行きました」

 「だれがあなたをその弁護士に接触させたのですか? ヒメネス将軍ですか?」
「はい」

▼陳述書の存在
 「六一年から六三年までの間、どうもフランク・スタージスやペドロ・ディアス・ランツといった人たちとのつき合いという意味では、空白の期間があるようですね。あなたはその二年間、そうした人たちとは接触しなかったのですか?」と、ドッドはロレンツにたずねた。
 「接触はありました。彼らは、私が静かに生活し、子供を育てている間も私に接触してきたのです」

 「いつ、どういうときに彼らはあなたに接触してきたのですか?」
 「彼らはただ、私に連絡を取ってきたのです。特にフランク(スタージス)とアレックス(ローク)は。アレックスは私に言いました。“新しい人生を生きろよ”って。逆にフランクは、私をグループに戻らせて働かせたかったのです」

 「その期間中、彼から手紙を受け取りましたか? フランク・スタージスから郵便物や電報、手紙といったものを受け取りましたか?」
 「アレックスからはあります」

 「アレックスから」
 「はい」

 「受け取ったのですか?」
 「はい」

 「彼らはあなたに何か専門的な仕事をやるよう求めてきましたか、ちょうどあなたが過去二年間にやってきたように?」
 「その三ヶ月間はありませんでした。私が彼らのグループに戻る可能性はありましたが、私は戻るつもりはありませんでした。私は“将軍の本国送還によって私の人生は完全に崩壊した。もう昔の自分ではない”と言いました」

 「議長。これが記録として採用されているのか、あるいは採用されるべきなのか分からないのですが・・・」と、ドッドは言いながら、自分のカバンからA4ノートを取り出した。それはロレンツが書いた一種の陳述書だった。ドッドはロレンツに向かって言った。「私はここに、あなた自身による手書きの陳述書を持っています。多分、あなた自身の手で書かれたと思うのですが。その中で、あなたは、様々な状況や一九五九年に始まり六三年に至る間のフィデル・カストロとの関係を説明しています」

 「フィデルとの?」
 ロレンツにはまだドッドが何のことを言っているのか分からなかった。

 ロレンツの弁護士、クリーガーが口を挟んだ。「議長。証人にその書類を見させていただけませんか。そうでないと彼女は、それが彼女の手書きなのか、ほかの人が書いたのか、見分けられません。ドッド議員が何のことを言っているのか分からないのです」

 議長はドッドらに向かって「あなたはそれについて突っ込んで聞くか、あるいは証拠として提出したいですか?」と聞いた。

 トリプレットが答えた。「私たちは、それを証拠として提出するつもりはありません、議長。しかしながら、もし議長がお望みであれば、そういたします」

 ドッドも発言した。「彼女に私が言及している文書を見せてあげては・・・」
 クリーガーが応じた。「議長。ドッド議員が言及している文書を証人に見せてあげて下さい」

 ドッドからロレンツに陳述書が手渡された。ロレンツは陳述書に目を通した。

ドッドはロレンツに聞いた。「それは、あなたが用意した陳述書だと思います。それで聞きたいのですが、それはあなたが用意した陳述書ですか?」
 「はい、私の手によるものです」

▼陳述書1
 それはロレンツが書いた陳述書に間違いなかった。60年代から70年代にかけて、ケネディ暗殺事件に関連する多くの目撃者や証言者が殺された。いつ命を落とすかもしれない危険の中にあって、自分の知る真実を記録にして残したいと思ったロレンツが七七年七月、手書きでA4のノートに記したのだ。そこにはケネディ暗殺やヒメネス将軍についてのロレンツの思いが忌憚無く書かれていた。

 陳述書は十六ページにわたっていた。

ページ1 マイアミ、フロリダ
七月
 私が死んだり、(あるいはけがをしたり)、あるいは私の家族のだれかが死んだりした場合を想定して、私こと、イオナ・マリタ・ロレンツ、三九年八月十八日ドイツ・ブレーメン生まれ、はフロリダ州マイアミのスティーブ・ズカス氏にこの手紙を託し、しかるべき人物あるいは委員会に手渡していただきたいと願っている者です。

 私の娘の父親、マルコス・ペレス・ヒメネスが本国送還になった後、私は途方に暮れ、昔の仲間であるフランク・フィオリーニ(スタージス)とマイアミにいる彼の手下たちのグループ(国際反共産主義部隊)のところに戻りました。私はフィデル・カストロとの個人的で親しい関係があった後の五九年、キューバで、フランク・フィオリーニとニューヨークのアレックス・ロークに命を助けられたことがあります。私は五九年末までマイアミで活動し、国際反共産主義部隊のメンバーになり、血の誓いをたて、六〇年初めには、フランク・フィオリーニの秘密の殺人集団に加わりました。同時に私は、ニューヨークに本部があるアレックス・ロークの反共産主義国際グループの正式メンバーにもなりました。
 私はいつも、この偉大で自由な国を敬愛してきました。

ページ2
 私がこれまでに何をしてこようとも、それはアメリカ合衆国の最大の利益になると信じてやってきたことです。もし、忠実なアメリカ市民として過去に何か過ちを犯したとしても、それは私の無知と臆病・恐れからやったことです。私は、残される私の子供たち、モニカとマーク・エドワードのためにも、許しを乞う者です。
 マルコス・ペレス・ヒメネス将軍の本国送還の直後、私がディーン・ラスク(編注・国務長官)とボビー・(編注:司法長官)ケネディの決定に立腹していると思ったフランク・フィオリーニは、自分の極秘グループに再び私を組み入れたのです。
 キューバ侵攻に失敗したピッグズ湾事件以降、私はフランク・フィオリーニのグループに変化が起きたことに気付きました。つまり、事件前は“フィデル・カストロを打倒しろ”がグループの怒りを真摯に表わす合い言葉だったのに、事件後は“ケネディをやるべきだ”というスローガンに変わったのです。その数年前、フランク・フィオリーニは私の部隊長で、私を“訓練”し、一九六〇年には私に毒入りのカプセルを持たせ、キューバに送り込んだのです。(私はフィデル・カストロの五九年七月二十六日運動の“名誉”会員で、

ページ3
仕立てられた制服と会員カードを持っていました。)私はフィデルとの“個人的な関係”を利用して、ハバナ・ヒルトンホテルのスイート二四〇八号室に入り、フィデルが飲むであろう飲み物の中に二つのカプセル(ボツリヌス菌が入っていたと思います)を入れ、彼を確実に殺すことになっていたのです。

▼陳述書2
前回までのあらすじ
反カストログループへの支援金を集めるため、ベネズエラの独裁者ヒメネス将軍に近づいたロレンツは、執拗なヒメネスの誘いに屈し、愛人になることを承諾する。やがてヒメネスの子を妊娠、女の子の赤ちゃんを産む。ところがヒメネスが本国へ強制送還されることが決まると、何者かに車で轢かれそうになるなどロレンツに魔の手が伸び始める。金蔓を失い、命まで狙われたロレンツは、スタージスが率いる暗殺集団に助けを求めた。その結果、暗殺集団の秘密の会合を目撃することになった。

(陳述書の続き)
私は、フランク・フィオリーニがCIAのメンバーで、私は“合衆国のために素晴らしい奉仕をするのだ”などと固く信じていました。アレックス・ロークも賛同してくれましたが、彼は同時に私の身の安全のことも心配してくれました。私が飛行機に乗り込むときに私にくれた彼の別れの言葉は、“自分の心にたずねなさい。そしてすべてを神に委ねるのです”というものでした。フランクの別れの言葉は、“あの野郎に近づけるのはお前だけだ。この国の将来はお前にかかっている。お前には二十四時間やろう。無線を聞きながら待っているぞ”でした。私にはやれないことは分かっていました。アレックスの言葉が耳から離れませんでしたし、それから“あなたの国があなたに何をしてくれるのかとたずねるのではなく、あなたがあなたの国に何ができるのかをたずねなさい”というケネディ大統領の言葉も思い出していました。

ページ4
 意図的に他人の命を奪うなんてことは私の性に合わないことでしたが、フィデルの場合でいえば、やろうと思えば、簡単にできたであろうと思います。私はフィデルには何も言いませんでした。そしてフィデルのそばにいて初めて、何て危険なグループに巻き込まれたのだろうということに気付きました。私は歴史を自然の経過に任せることに決めました。政治は私には退屈でした。ところが“失敗者”として米国に戻ると、今度は私が命を狙われたのです。フランク・フィオリーニは、フロリダ州マイアミの周辺に巨大な犯罪組織の仲間(ノーマン・ロスマンやサントス・トラフィカント)を持っていました。私はその後沈黙し、友好的に振る舞いもしましたが、彼らとは距離をとることに決めました。
 フランク・フィオリーニは私にマルコス・ペレス・ヒメネス将軍を紹介しました。そして私は、そのキューバを愛する将軍と暮らすようになったのです。彼の子供ももうけました。モニカ・ペレス・ヒメネス、六二年三月九日ニューヨーク生まれです。しかし、その生活も六三年八月の将軍の本国送還の日に終わりました。
 将軍はよく、ケネディ兄弟を殺してやりたいと私に個人的に言っていました。

ページ5
 六三年十一月二十二日の約一カ月前、私はフランク・フィオリーニ、オズィー(リー)、それにほかの人、キューバ人たちのグループに加わりました。そして二台の車に乗り込み、オーランド・ボッシュの家に向かったのです。フランク・フィオリーニがノーマン・キーとかマラソンといった地図を調べるのはいつものことでした。(過去にも私たちは水路、干満や潮の流れ、バハマ諸島の島々の地図を開いてよく研究しました。バハマ諸島へは盗んだ船を私が操縦して行きました。船に積み込んだ武器をある場所に持って行き、後にどこかへ運ばせるのです。)

 しかし、今回のボッシュの家での“極秘会合”は、テキサス州ダラスにある特定の街路についての話でした。私は私たちがまた“武器庫の襲撃”をやるのだという印象を持っていました。だからそのことはあまり気にせず、私はどちらかというと、私の赤ん坊とどうやって再び人生を切り開いていこうかということばかり考えていました。彼らはそのほかにも“非常に威力のあるライフル”の話や“距離”“建物”“タイミング”“接触”“沈黙”といった関係の話をしていました。
 外には四人乗りの別の車が待っていました。家の窓はきっちりと閉められ、扇風機が回っていました。ボッシュ夫人がキューバコーヒーを入れてくれました。子供は部屋から出ていくように言われました。

▼陳述書3
ページ6
 私はあまり興味がなく、退屈していました。それに疲れており、気分も悪く、もうキューバ人とのつき合いは“卒業”したような気分でした。私の考えていたことは、ベネズエラにいるマルコスや私の娘のこと、そして私(それに将軍)の弁護士であるデービッド・ウォルターズのことや、将軍の本国送還のことでした。
 そのとき、フランクがボッシュに言った“ケネディ”という言葉が聞こえたので、私は思わず“ケネディがどうしたの???”と聞き返しました。部屋の中にいたみんなの視線が私に注がれました。私のことを探っているようでした。すると、今度はオズィーが、私がここにいることについて、フランクとボッシュに対して口論を始めたのです。私はそのときフランクにこういってやりました。“こんな敵意のある不快なやつが何で必要なのよ???”
 フランクがみんなに対して私の弁護をしてくれたとき、私は立ち去りたい気持ちでした。 抑制し、かつ、静かにフランクは言いました。“いいか、よく聞け。彼女はボビー・ケネディに刃向かい、そのために本国送還の手続きという罠にはめられすべてを失ったんだ。彼女は残す!”
 (マルコス・ペレス・ヒメネスがデイド郡刑務所に九ヶ月間拘置されていたとき、彼は毎日電話をくれました。)将軍が千三百五十万ドルの窃盗と四件の殺人容疑で裁判にかけられるため、

ページ7
ベネズエラへ強制送還される最終段階になって、将軍は完全に私たちの弁護士を信じなくなり、かつ“ボビー・ケネディ”に対して激しくののしるようになりました。彼は復讐を誓い、そして私にするべきことを告げました。
 本国送還の手続きを遅らせるために将軍に対して婚外子扶養請求訴訟を起こすというのは、将軍の考えでした。デービッド・ウォルターズがお膳立てをし、私に何をすればよいか、どうやって別の弁護士を雇うかなどを指示しました。
 私は、将軍が私の娘と私のために設けてくれた二つの信託基金の女管財人でした。二つの基金は、それぞれ七万五千ドルありました。デービッド・ウォルターズは、マルコスの金を、株、国債、それに社債の形で持っている“保証人”でした。デービッド・ウォルターズはまた、マルコス・ペレス・ヒメネスに対する弁護士としての最大の権限を持っていました。
 私が本国送還の手続きを遅らせるためにマイアミで婚外子扶養請求訴訟を起こしたその日の午後、デービッド・ウォルターズから私に電話がありました。(私の訴訟のニュースはマイアミ・ヘラルドの一面トップやテレビのニュース番組を大々的に飾っていました。)

ページ8
 デービッド・ウォルターズの電話の後、私はフランク・フィオリーニに電話しました。 デービッドは私に“町から出ていけ。お前は信託基金設立の際に決められた条項に違反したから、お前の権利は消失した!”と告げたのです。私はその婚外子扶養請求訴訟を起こしたときに、だれが“発案者”であるか明らかにしていたにもかかわらずです。その日以降、私はお金も、マイアミの家(ベイパーク・タワーズ)も、車も、家具も、預金も、すべて失ったのです。自分の命も危うく失うところでした。

 私はデービッド・ウォルターズに利用され、だまされたのです。マルコスも気付いて、彼もデービッド・ウォルターズに利用され、だまされたと言っていました。ウォルターズはボビー・ケネディとベネズエラのロムロ・ベタンコートの仲介者として二股をかけていたのです。
 私は、当時信頼していたフランク・フィオリーニに私の身に起きたことをすべて話しました。私たちと私たちのグループは何度か会合を開き、マルコス・ペレス・ヒメネスをデイド郡刑務所から“脱獄”させようと企てました。特に、マルコスとフランクは個人的に親しくしていました。将軍はいつも私たちのキューバ活動の件に同情的で、キューバ人の

ページ9
難民に惜しみなく資金を提供してくれました。私たちのマルコスを脱獄させるという計画は失敗しました。そしてついにマルコスはベネズエラのカラカスに追放され、そこで刑務所に入れられたのです。

▼陳述書4
 私は決して、ケネディ家に対する将軍の憎しみや怒りに同調することはありませんでした。実際のところ、私は本国送還手続きに数ヶ月の遅れを生じさせた“障害”について心苦しく思っていたのです。だからこそ、当時の司法長官ロバート・ケネディの命令を受け、国務省の役人二人が家にやって来て、訴訟を取り下げるよう求めたときも、それに応じたのです。そのためにディーン・ラスク国務長官とロバート・ケネディがその件を進めることができたのです(編注:ロレンツがここで主張していることは、自伝に書かれていることと明らかに矛盾している。自伝では「取引には応じなかった」と書かれている。命を狙われたので訴訟どころではなくなり、結果的に応じたことになったということかもしれないが、真相はわからない)。
 ワシントンから来たその二人の国務省の役人の名前は思い出せませんが、私は自分の置かれた状況をその二人に説明しました。(信頼できると思ったのです。)私はマルコス・ペレス・ヒメネスが個人的にケネディ兄弟の命を狙っていることも話しました。そうすれば、ワシントンにいる“お偉いさんに警告できる”と思ったのです。
 マルコスは、ロバート・ケネディが彼を逮捕・監禁するまで、J・F・Kの政治運動に一週間で一万ドルぐらい寄付していたのです。それなのに、マルコスは監獄に入れられ、そのまま出ることができなかったのです。

ページ10
 私はマルコスの信託基金と私が持っていたすべてを失いました。しかし、一度でもケネディ兄弟のことを非難したことはありません。私は十分に政府のことを尊重していましたし、正義は正義であると感じてもいました。ボビーの決定は正しかったのです。結局、私は、マルコスと暮らしてみて、彼が罪を犯していると知りました。私は沈黙を守りましたが、耳を傾けていろいろなことを聞きました。マルコス、フランク、ボッシュ、オズィー、それに反カストロキューバ人の地下組織の連中によるケネディ兄弟に対する脅しに、私は辟易するばかりでした。

 私は、あの二人の国務省の役人がワシントンにいる上司に警告してくれたことを願うばかりでした。私にはマルコスの脅しの方が、短気なキューバ人のそれよりも真実味を帯びていると思いました。キューバ人たちは皆、ピッグズ湾事件の後、J・F・Kの“裏切り行為”と“支援をしなかったこと”により、J・F・Kを殺したいと思っていました。

 私の個人的な復讐は当時、政府に向けられたことは決してなく、私の弁護士であるデー

ページ11
ビッド・ウォルターズに向けられていました。ウォルターズは、私の資金源を絶ち、マイアミの地方弁護士、リチャード・ガースタインとともに、チンピラやくざ(フランク・ロッソ)を雇い、私を車でひき殺そうとしました。私は腕に赤ん坊を抱え、モーテルの部屋の外を歩いていたときにその事件が起き、私と赤ん坊はけがをしました(編注:ここでも自伝と微妙に事実関係が異なっている。自伝では赤ん坊は乳母車に乗せられていた)。私たちはけがを負いましたが、私はちゃんとナンバープレートを見ていて警察に通報。その結果、そのプレートの持ち主はリチャード・ガースタインの従業員の車であることが分かったのです。
 それから訴訟している間と本国送還の前にも、ウォルターズは“私の信託基金を取り戻すためだ”とか言って私をだまして、何かの書類にサインさせようとしました。実際にはカーボン紙とその下の書類の間に、私の養育権を含むすべての権利を放棄するとした紙がはさんであったのです。それによると、私は十八ヶ月になる娘の養育をあきらめて、養子縁組のための孤児院に預けることになっていました。(というのも私にははっきりとした金銭的支援がなかったからです。)
 私はどんな書類にもサインしませんでした。その代わり、私はウォルターズの事務所で当たり散らしました。そして再び、フランクの元に逃げ戻ったのです。
 以上がマルコス・ペレス・ヒメネスとデービッド・ウォルターズの話です。

(編注:ここまでの陳述書の内容は、ロレンツの自伝の内容と微妙に異なることは指摘したが、その相違について、一面理解できる部分もある。自伝ではウォルターズのことはオブラートに包んで、ロレンツに対する暗殺未遂事件との関係付けるような記述は一切ない。ところが陳述書や委員会の証言では、ウォルターズがロレンツを殺そうとしたのだと、明言している。自伝でそのことを触れると、ウォルターズから訴訟を起こされる可能性があったため、あえて伏せたのだとみられる。自伝よりも陳述書のほうがかなり細かい部分まで言及している背景には、そうした民事裁判上の事情があるように思われる。)

▼陳述書5
ページ12
 ここで話を、ボッシュの家での怪しげな雰囲気とテキサス州ダラスの街路地図をテーブルに広げた秘密の会合に戻します。私は別のことを考えていました。私は行方不明になっているアレックス・ロークを探す捜索隊を発足させることについてフランクと話をしたかったのです。
 (アレックスと二人のキューバ人、それにジェフリー・サリバンは、ニカラグアに向け飛行機でフロリダを発ったまま消息不明になっていたのです。
 ニューヨーク市のFBI事務所と緊密に連絡をとって仕事をしていたアレックスは、冒険軍人であると同時に素敵な人物でした。フランクとアレックスはライバル関係にありました。そしてウォーターゲート事件後の七五年に、フランクからアレックスはCIAに殺されたのだと知らされました。)
 ボッシュの家で、私はオズィーのことを“チヴァート”だとフランクに向かって言いました。するとオズィーが私に怒って挑みかかってきたので、私は彼に“どうしてその言葉の意味を知っているの?”と聞きました。(その言葉はフィデルのお気に入りで、“密告者とか、裏切り者”と言う意味です。)彼はキューバで聞いたのだと言っていました。
 フランクやほかの仲間が小声で話すので、この会合はいつもより秘密主義的に思えました。

ページ13
 六三年十一月のある日、私はまだフランク・フィオリーニとつながりがありました。そして途方に暮れ、新聞記者たちから隠れていました。そんなとき私はフランクに“もちろん行くわ”と告げたのです。こうして私は彼とその仲間たちと一緒に二台の車に分乗してダラスに行くことになったのです。
 私は、以前私たちがやったような“武器庫襲撃”に行くのだとばかり思っていました。そして、それがボッシュの家で“秘密の会合”が開かれた理由だと思っていたのです。
 私は娘を、親しい親友であり、ベビーシッターでもあるウィリー・メイ・テイラーに二,三日預けることにしました。彼女は私がマルコス・ペレス・ヒメネスと暮らしているときの私の女中でした。
 私たちは、中古のように見える二台の車に乗って、真夜中過ぎに出発しました。私たちは全部で八人か九人で、車のトランクにはフランクの“子供たち”、つまり高性能ライフル、望遠鏡、サイレンサー付きの銃が積まれていました。出発前、フランク、ボッシュ、それにペドロ・ディアス・ランツから指示がありました。それは、電話をかけるな、テキサスではスペイン語をしゃべるな、レストランでは何も残すな、命令には完全に服従しろ、でした。物資、食料、そして“道具一式”が車のトランクに投げ込まれました。私たちは黒っぽい外出着を着て車に乗り込みました。

ページ14
 私たちは夜を徹して、海岸線を走りました。だれも多くを話しませんでした。フランクが運転し、私は後ろの席に座り、眠りました。車の中は暑く、混み合っていました。隣にはキューバ人が座っていました。私たちはダラス市街を通り抜け、郊外にあるモーテルまで行きました。私は今でも、モーテルのそばの、広くてとても清潔な通りを覚えています。通りの真ん中にはよく手入れされた植物や花が植えられていました。大きなテキサス牛のレストランがあったことも覚えています。屋根には大きな牛の看板が見えました。“テキサス州で一番大きなステーキ”と書かれていました。
 “制限速度内で運転しろ”とか“記録に残る違反切符をもらわないようにしろ”とかの指示もありました。“(ダラス)市の境界線はここまで”という標識を見たことも覚えています。そこで車を引き返し、市の郊外にあるモーテルの砂利道の駐車場に車を停めたのです。
 フランクとペドロがチェックインを済ませ、私たちは二部屋とりました。大きな二つの部屋は扉でつながっていました。それぞれの部屋には、二つのダブルベッドがありました。オズィーは新聞を持ってきて、みんながそれを読みました。
 服を着替え、私はベッドの上に寝転がって眠りました。フランクがサンドイッチやソーダといった食料を持ってきました。

▼陳述書6
ページ15
 電話がかかってきた場合、フランクとボッシュだけが電話をとっていいことになりました。ちょうどその夜、フランクは“仲間”のルビー(編注:ジャック・ルビーのこと)を待っていました。フランクは外の駐車場でルビーと話をしていました。ルビーは私がいることに驚いたようでした。そしてフランクに私のことを質問していたと確信しています。
 私は後で、フランクに対して“あのマフィアのチンピラをどこで見つけたのよ?”とか“一体何が起きつつあるの?”とか“一体全体、私たちがここにいる目的は何なの?”などと矢継ぎ早に質問しました。フランクは私をじろじろ見た後、私を外に連れ出しました。そしてこう答えたのです。“お前は仲間を苛立たせている。俺が間違っていた。この仕事は大きすぎた。お前はマイアミに帰れ。赤ん坊を受け取って家に帰るんだ。”私はそれに同意しながら、フランクには、オズィーやルビーといった輩の人選は好きになれないと伝えました。何故なら彼らは新参者で、本当のメンバーではなかったからです。私がモーテルを立ち去ろうとしていると、“エドゥアルド(ハワード・ハント)”が車で乗り付けてきました。そしてマイアミの行きの空港へはだれが私を乗せていくかという議論になりました。フランクとボッシュが私を乗せていきました。エドゥアルドはモーテルで待っていました。私はマリア・ヒメネスという名前(それについてはほとんど確信しています)で

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飛行機に乗りました。私はマイアミに約一日だけ滞在しました。赤ん坊と一緒になれてとても幸せでした。私はフランクと彼の反カストログループとの関係を完全に断ち切ろうと決心しました。彼らとつき合っていても、ろくなことになりません。それにすべての状況に嫌気がさしていました。
 私は、フランクのグループがテキサスに行ったのは、だれか人を殺すためだと薄々感づいていました。すべてが隠密行動だったからです。私は決して、見聞きしたことを考え合わせて推測したことも、だれかから彼らが何をやろうとしていたかほのめかされたこともありません。私が知っていることは、私が書いた、そして書きつつあるすべては真実であるということです。神に誓って。
(編注:陳述書の文中、編注がついていない丸カッコはロレンツが付けた丸カッコ。)

 以上が陳述書の全文だった。
 ロレンツにとってこの陳述書は真実を残しておきたいという遺書のような意味もあった。

 「あなたは、オーランド・ボッシュの家での会合の席で、オズワルドが、あなたが会合に出ていることに懸念を表明したと陳述していますね」とドッドが陳述書を基にした質問を始めた。
 「はい」

 「だれかほかに、あなたがそこにいることに懸念を表明した人はいましたか?」
 「いいえ。というのも、彼らは当時、私がそこにいるのは当然な理由があると見なしていましたから。だって私が愛し、子供までつくった将軍が、ボビー・ケネディ(ロバート・ケネディ司法長官)のせいで本国送還になったのです。彼らはケネディ兄弟が大嫌いだったのです」

▼偶然の傍観者1
 「彼らと何ができるかを話すために、たまたまそこに行ったということですか・・・」
 「私はフランクが私を助けてくれるのではないかと思ったのです。そのほかには、いかなる政治的利害もありませんでした」

 「分かりました。あなたから確認しておきたいことは、つまり、あなたは金銭的状況に関して助けが欲しかったから、フランクたちとの会合をアレンジした。事実は、あなたの証言からも分かるように、あなたが将軍側の人たち、つまり弁護士たちから指名手配を受け、追われていた、ということですね」

 ドッドは、ロレンツが当時置かれていた状況をまったく理解していなかった。特に「将軍側の人たちに追われていた」というのは、事実誤認も甚だしかった。ロレンツは言った。
 「いいえ、違います。将軍側の人たちではありません。デービッド・ウォルターズです」

 「その弁護士だけですか?」
 「そうです。それに彼の仲間たち」

 「それがボッシュの家にいた理由ですか?」
 「はい」

 「出席するために会合の場にいたのではないのですか?」
 「私がその場にいたのは、フランクに私の身を守ってくれるよう頼むためだったのです」

 「あなたはその時、スタージス氏と四年以上ものつき合いでしたね。そして、あなたの証言によると、彼はかなり注意深い工作員でもあったわけです。そういうことでよろしいかな、彼はどちらかというと秘密主義者であったと?」
 「はい」

 「そうすると彼は、ある事実や情報を知る必要のない人物と情報を分かち合うようなタイプの人間ではなかった、といってよろしいですかな?」
 「はい」

 「こう質問するのも、ロレンツさん、もしあなたがそこにいた主な理由が将軍の本国送還とあなたの財政状況について話をするということなら、なぜ彼らが、ダラスか何かに関する会合の席にあなたが入り込むことを許したのか、分からないというか、驚きだというわけですよ」
 「最初に、私はオペレーション40のメンバーであるということです。二つ目に、私はフランクに財政状況を説明にきたわけではありません。私は保護を必要としていたのです。私はデービッド(ウォルターズ)が私と娘に対して再び危害を与えることのないよう助けを求めに来たのです。それが理由です。当時、だれもが同じことをしたでしょう。ほかに助けを求めることができる人がいなかったんですから」

 「何が言いたいか分かりました。でも私のあなたに対する質問は、会合に出席したフランク・スタージスや他の仲間が、あなたはそこに援助や保護を求めているだけなのに、何故ダラスに関する会合にあなたを出席させたのかということなんです。というのも彼らは、だれが何を知っているかについて警戒するような、高度に専門的な工作員なわけですよね。そのためにグループ分けもしている。つまり、彼らは知る必要もない人間には情報を与えたりしないわけだ」
 「それは、フランク(スタージス)が私を信頼していたからです。私も彼のために働きましたし。彼はボッシュの家に着く前に、“お前は俺たちと一緒にいる十分な理由がある”と私に言いました。私はその時は、何のことだか分からなかったので、彼が私を訓練し、私は仕事をやっただけだ、とだけ答えました。これに対し、フランクは“会合があるので、今から一緒に来い”と私に告げたのです」

 「あなたは会合がどれだけ続いたか覚えていますか?」
 「一時間ほどです。私は本当に退屈しました。一時間か、それをちょっとオーバーするぐらい」

 「その会合が開かれている間に、あなたはそのダラス作戦に関連して何か役割を演じるよう頼まれたり、要求されたりしたことはありましたか?」
 「いいえ」

 「あなたはその会合では、ただの偶然の傍観者だったのですか?」
 「私は肘掛け椅子にすわったり、ボッシュの奥さんがコーヒーを出すのを手助けしたりしていました」

 「私はもうこれ以上質問はありません」
 ドッドはこう言うと、とりあえず質問を打ち切った。

▼偶然の傍観者2
 ロレンツがケネディ暗殺の直前に、フランク・スタージス、オズワルド、ランツら七人と、マイアミからダラスに出かけたとするロレンツの主張は、証言の最大のポイントだった。しかもロレンツは、ダラスで後にオズワルドを射殺したジャック・ルビーとCIA工作員ハワード・ハント(エドゥアルド)とも会っているというのだ。この信じ難いような話についてのトリプレットの質問が始まった。

 「さて、あなたは何回かオペレーション40のために働いたと言いましたね?」
 「はい」

 「あなたはオペレーション40の資金的後ろ盾が誰だか知っていますか?」
 「ええ、フランク(スタージス)が資金面の問題を引き受けていました。私たちは毎月もらう資金がなかったらやっていけませんでした」

 「その資金とは、エドゥアルドからもらったというお金の一部なのですね?」
 「はい」

 「エドゥアルドがだれを代表していたか知っていますか?」
 「知りません」

 「フランクは教えてくれなかったのですか?」
 「フランクが言うには、ワシントンの偉い人です」

 「だれのことか分かりませんか?」
 「ちっとも分かりません」

 「サントス・トラフィカントに会ったことがありますか?」
 「いいえ」
サントス・トラフィカントは、ロレンツとは別のCIAのカストロ暗殺計画に深くかかわったフロリダのマフィアだ。

 「米国でもキューバでもないですか?」
 「ありません」

 「あなたは麻薬取締局(DEA)の職員と会ったことはありますか?」
 「DEA。マイアミの取締官ですか?」

 「どこでもです」
 「いいえ。ニューヨーク市ではありますが、そんなに昔のことではありません。その時は会っていません」

 「一九六〇年代の話ですが?」
 「六〇年代はありません」

「あなたはマイアミにある米国関税局の代表者を知っていますか?」
 「はい、知っています」

 「その人の名前は?」
「スティーブ・ズカスです」

 「六〇年代、その地区での代表者はだれだか知っていますか?」
 「いいえ、知りません」

 「シーザー・ディアス・ディオスダードという名の男と会ったことはありますか?」
 「いいえ。シーザー・ディアス・ディオスダード? いいえ、覚えていません」

 「オーランド・ボッシュの家での会合の話に戻りますが、会合が終わった後、あなたはどこに行きましたか?」
 「私はフランクに一体全体何が起こっているのか聞きました。私は既にグループから脱退していましたから。すると彼は“非常に、非常に重要なことだ。お前が俺たちと一緒に来ることになるのか分からないが、俺たちは旅に出る”と言ったのです。
 これに対し私は“私はあなたに今の私の状況について話があるの。フランク、助けてちょうだい”と言いました」

 「あなたの状況というのは、当時のあなたの子供が置かれた状況ということですね?」
 「将軍との間にできた子供と、デービッド・ウォルターズに関する問題ということです」

 「先に述べた弁護士のことですね?」
 「はい」

 「フランクはそれについて助けてくれましたか?」
 「いいえ」

▼偶然の傍観者3
 「次にオズィーを見たのはいつですか?」
 「私はフランクのところに戻りました。私はモーテルに泊まっていましたが、フランクは私と連絡を取り合っていたのです。彼はデービッド(ウォルターズ)に接触し、私に近付かないように言うと約束しました。しかし、その前に彼は旅行の用意をしなければならないと言いました。フランクに同行したその旅行で、再びオズィーに会ったのです」

 「それが次にオズィーことリー・ハーヴィー・オズワルドに会ったときですね?」
 「はい」

 「その旅行というのはいつでしたか?」
 「十一月二十二日の一週間ぐらい前です」

 「ほかにはだれがその旅に加わったのですか?」
 「ジェリー・パトリック・ヘミング、ペドロ・ディアス・ランツ、ノボ、オズィー、フランクもいました。それに私とオーランド」

 「ノボとはノボ兄弟のことですね?」
 「ノボ兄弟です」

 「過去を思い出しているうちに、ノボ兄弟の名前を思い出しましたか?」
「いいえ」

 「ニックネームも覚えていませんか?」
 「覚えていません。忘れました。その一年前に名前を聞いたと思うんですが、忘れました」

 「私の計算ではその旅行には全部で七人(編注:トリプレットの計算違いで実際は八人)いたのですね?」
「はい」

 「その旅行はどこからスタートしたのですか?」
 「マイアミです。私はベビーシッターに赤ん坊を預けました。私はベビーシッターを雇わなければならなかったのです。だけど私には週末も彼女に払えるほどのお金がなかったので、赤ん坊を彼女の家に連れていってもらったのです。私たちは車にはねられ、けがをしていましたし。彼女は赤ん坊を彼女の家に連れ帰ってくれました。私は彼女にはすぐに戻るとだけ伝えました」

 「それではあなた方七人は皆、マイアミに集まったのですね?」
 「はい」

 「どこか特別の家とか、場所とかで?」
 「オーランド・ボッシュの家の前です。私たちは車に乗り込みました」

 「一台以上の車があったのですか?」
 「二台です」

 「どんな車ですか?」
 「汚くて、古いやつです。メーカーは覚えていませんが、一台は後ろに翼のような、何て言うのかしら、フェンダーがついていました」

 「翼のあるフェンダーだと思いますが。私も分かりません」
「青、緑の、古くて、汚い車です」

 「フロリダのプレートナンバーを付けていましたか?」
 「それは覚えていません。というのもフランクは車の後ろにいくつかのプレートをいつも置いていましたから。彼は州境のパトロールから逃れるためプレートを換えるのが常でした。銃を運ぶときはいつも、いくつかのプレートのセットを持っていました」



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